6月2012

家の手伝い

来塾される保護者の方々は皆さんそろって「なかなか家では勉強しなくて」と言われます。そのとき私は「勉強していないとき塾生諸君は何をしているのだろうか」ふと考えます。この頃は家の手伝いを行わせる家庭は少なくなったように思います。まさかずーっとテレビゲームをやっている訳でもないだろうが、それに近い状況を思い浮かべ、背筋がぞっとしたりしてしまいます。今の子は豊かである世の中に生まれたが故に近代以前の子供たちとは違うものを背負って生きていかなければならないのかもしれません。そんなことを考えるとき、私はいつでも私の祖父のことも思い出します。

  祖父は1994年の明治生まれでもう他界してから四半世紀を過ぎています。その祖父は群馬の田舎の出身で高等小学校卒でした。家は貧しい農家で、やっとのことで小学校に通っていたとのことでした。学校の宿題を家でしていると父親から「学校に行かせているのに手伝いもしないで家でも勉強するのか。そんな時間があるなら縄でもなっていろ」といわれたそうです。多くの子供たちは否応なく家の手伝いをさせられていたのがこの当時としては普通のことだったのでしょう。しかしこの家の手伝いを行うことは単純作業を一定時間行うことで、皆最初はいやいややり始めたことは想像に難くないことです。しかしそれになれたとき、確実に精神的に成長し、すなわち精神の安定と制御をおこなうセロトニンが安定的に分泌する状態を導けるようになったということだと思います。祖父は14歳で上京し、丁稚として質屋で働き始め、徴兵時は村で二人しかいなかった伍長までになったと聞いております。中学時代の私と比べると「大人」であったことはまちがいないと思います。こうやって多くの明治の大人は作られていったのでしょうか。

それに対し現代の子供たちは「勉強しない=遊ぶ」の時間を過ごし、ドーパミンの過剰分泌(ある種の依存状態)の中で過ごすこととなり、そこに精神的安定や社会性の獲得ができる状態とは程遠いところにいるように思います。

家庭で勉強をしないのならば積極的に家の手伝いを行わせることが、遠回りのように見えますが結局は子供を一回り成長させ、安定した精神状態の下で勉強を見直させることができるかもしれません。家の手伝いといっても掃除や洗濯だけでなく、それ自体が楽しく行える料理などはいかがでしょうか。調理の前準備や後片付けなど根を詰めて行う作業も含まれますが、子供たちから見て未知の領域で興味深く入りやすい手伝いかもしれません。一度試してみてはいかがでしょうか。

ドーパミンは集中した気持ちを途切らせる

人が何か達成できて「やった!!」という気持ちのとき、快楽神経伝達物質のドーパミンが分泌されます。しかしドーパミン分泌による喜びは集中していた気持ちを途切らせます。ドーパミンは達成したという事実で分泌されるのではなく、達成されそうだという予想が立ったとき分泌されるそうです。北京オリンピック100m決勝でウサイン ボルトがゴール直前でスピードが緩んだように見えたのはあまりにも有名です。また、100m平泳ぎの北島康介が最後の5mで失速し、北京オリンピック国内選考会で世界新記録を逃したことがありました。その後本番に向け北島選手は電光掲示板を自分の目で見るまでレースは終わらないものとして緊張を切らさない練習し、北京オリンピックでは世界新記録金メダルを獲得しました。

 この話は一流の運動選手の話で一般人にはあまり関係ない話のようにも思われますが、胸に手をあてて見回すと私たちの周りにもこれと似た話があります。どう解いたら分からない数学の問題で、ピカっと解法が閃き解答に着手していったは良いが、最後の最後に計算ミスをしてしまった、プラスとマイナスを間違えた・・・・。試験の終わりには「できた!!」という感覚だけがのこっていて今までにない高得点を期待していたが、却ってきた成績はいつもとあまり変わらない・・・。

 勉強の中で「やった!!」という気持ちが全然ないと、砂を噛むような味気ないものとなってしまいます。「やった!!」という気持ちは最初だけにし、後はてきぱき仕事をこなしていく状態(セロトニンが分泌され、ドーパミンと緊張を引き起こすノルアドレナリンが適度に制御されている状態)を継続できれば、これほど効率的な勉強はないと思います。

 鍵は「勉強の耐久力」の原動力となるセロトニン分泌を促進する生活を送れるかです。日頃のちょっとしたこと(例えば朝の散歩・リズム運動15~30分)が大きな差を生むのではないでしょうか。

 勉強で「やった!!」という気持ちを体験(ドーパミンの分泌)することは大切です。しかし同じドーパミンを分泌させる「テレビゲーム」等強烈な刺激が世の中や家庭に氾濫しています。勉強の「やった!!」という興奮よりどうしても「他の強い刺激」を追求するようになり所謂「依存状態」へ誘ってしまうようです。テレビゲーム等を行っている過程はまさにこの状態で、ドーパミンを制御するセロトニンは全く分泌されず依存状態が続き、一方でノルアドレナリン分泌の行き過ぎ=緊張→怒りも制御されず一発触発の空恐ろしい状態です。勉強やその他の作業を「セロトニン潤沢=精神的安定」の中で行う方法を確立できれば、子供たちが抱える様々な「依存状態」「キレる状態」等からの脱却の道筋が見えてくるのではないでしょうか。

「爪・鉛筆を噛む」再考

 ステップアカデミー第二教室ではそういう光景は見たことはないのですが、世の中には爪を噛んだり鉛筆を噛んだりする子供たちがいます。筆箱の中の鉛筆の先端が全てぼろぼろということもあるようです。通常の躾でしたらこれらの行為は避けるべき行為として指導すべきことですが、今回はそれらを少し別の角度から考えていこうと思います。

 子供たち、または大人でも緊張をしたりすると爪等を噛んだりする人々がいます。なぜ、彼らは爪等をを噛んだりするのでしょう。一番考えられる理由は緊張を解す為に行うということですが、それが咀嚼の類似代替行為で、それにより脳内にセロトニンが分泌され精神的安定が獲得されるならば、緊張状態で様々なものを噛むのも道理があるということになります。

  話が少々変わりますが、乳幼児突然死症候群という病気があります。幼児が就寝中に原因不明でなくなるという病気です。現在分かっていることは、亡くなった乳児たちの脳内は通常よりもセロトニンの分泌が少なかったということのようです。この予防のためにアメリカ小児学会は対策として、「母親の同床/添い寝の中止」「おしゃぶりの使用」を提言しています。前者は圧死を含む不慮の事故を防ぐためですが、「おしゃぶり使用」はセロトニンに関係しているようです。おしゃぶりを連続的にまたは断続的にしゃぶることによって「リズミカルな運動」→「咀嚼と同系」→セロトニン分泌が促され突然死防止が見込めるという道筋のようです。

乳幼児突然死症候群では「おしゃぶり」の使用は文字通り生命維持のためですが、爪を噛んだり鉛筆を噛んだりが「精神的安定」のための防護行動と考えると、勉強促進の為に積極的にこの「防護行動」を活用することも考えられます。具体的には大リーガーが試合中にガムを噛んでいるのと同じに、勉強中に「ガムを噛む」ことです。場合によっては道徳的に検証されなければならないかもしれませんし、また塾の中で認めるかどうかは別の話にしても、各家庭でご理解いただけるのなら行う価値はあるように思います。昨今、食生活で軟らかい食物が多くなり、よく噛んで食事を取る、硬いものよく噛む機会が子供たちの生活の中で減少しています。噛む・咀嚼することを見直すという理由にこのセロトニンの分泌→精神的安定を付け加えることもできると思います。

「勉強の耐久力」と弟子入り修行

以前に「勉強の耐久力」について述べましたが、今回その耐久力のつけ方について述べます。ここ10年の脳科学の発達は前回述べましたが、「勉強の耐久力」をつける方法もその中で相当分かってきました。

突然ですが、次のような話がよくあります。師匠の所に弟子入りして、長い間家の掃除や洗濯、薪割りばかりやらされなかなか御稽古をつけてくれない・・・・。といった光景が時代劇の中に現れます。御稽古に入る前に「忍耐力」をつける為の修行としてあらわされますが、現代の脳科学から説明すれば次のようになるでしょうか。ノルアドレナリンとドーパミンの分泌を調整するセロトニンが不足すると感情の調整が難しくなり、感情むき出しの状態が表れやすくなってしまいます。定常的な感情調節ができる状況を確保するにはセロトニンの分泌が必須です。セロトニン分泌させる方法はリズミカルな運動を続ける、2500ルクス以上の光(日光)にあたる、丹田呼吸を行う、などがあります。それを先程の「弟子入り生活」の中で行ったとしたら「朝早く、朝日の中で一日分の薪割りをおこなう。」「朝日の当たる縁側を何回も往復しながら雑巾がけをおこなう。叩きや箒を使って掃除する。」となるかもしれません。一定時間かかる作業を呼吸法まで考えて行ったとしたら完璧にセロトニン分泌を促す行動そのものと言っても過言ではないと思います。そのような修行をつんでいるある日、師匠から突然稽古場に呼び出され本格的な稽古が始まる・・・。

小中学生のセロトニン分泌促進の方法は意外に簡単に行えます。、朝少々早く起きて15~30分程度散歩をする。朝起きて朝日の中で15~30分疲れない程度に縄跳びをする。決して一所懸命になりすぎないことが重要です。なーんだそんなことと思われるでしょうが、最低でも3か月連続して行えば脳の状態・セロトニン分泌が変わり、効果(精神的安定等)を実感できるようです。(弟子入り掃除修行の期間もこれくらいでしょうか)このような方法で「耐久力=精神的安定」が獲得できることは昔からも言われてきたことですが、なぜそれが良いのか21世紀は科学的理由が明らかになりました。「耐久力」がついてその上で学習が積み重なれば、試験途中で気力が失せることもなく貫徹することができるようになります。そして自ずと成績も上向きになるのではないでしょうか。