家の手伝い

来塾される保護者の方々は皆さんそろって「なかなか家では勉強しなくて」と言われます。そのとき私は「勉強していないとき塾生諸君は何をしているのだろうか」ふと考えます。この頃は家の手伝いを行わせる家庭は少なくなったように思います。まさかずーっとテレビゲームをやっている訳でもないだろうが、それに近い状況を思い浮かべ、背筋がぞっとしたりしてしまいます。今の子は豊かである世の中に生まれたが故に近代以前の子供たちとは違うものを背負って生きていかなければならないのかもしれません。そんなことを考えるとき、私はいつでも私の祖父のことも思い出します。

  祖父は1994年の明治生まれでもう他界してから四半世紀を過ぎています。その祖父は群馬の田舎の出身で高等小学校卒でした。家は貧しい農家で、やっとのことで小学校に通っていたとのことでした。学校の宿題を家でしていると父親から「学校に行かせているのに手伝いもしないで家でも勉強するのか。そんな時間があるなら縄でもなっていろ」といわれたそうです。多くの子供たちは否応なく家の手伝いをさせられていたのがこの当時としては普通のことだったのでしょう。しかしこの家の手伝いを行うことは単純作業を一定時間行うことで、皆最初はいやいややり始めたことは想像に難くないことです。しかしそれになれたとき、確実に精神的に成長し、すなわち精神の安定と制御をおこなうセロトニンが安定的に分泌する状態を導けるようになったということだと思います。祖父は14歳で上京し、丁稚として質屋で働き始め、徴兵時は村で二人しかいなかった伍長までになったと聞いております。中学時代の私と比べると「大人」であったことはまちがいないと思います。こうやって多くの明治の大人は作られていったのでしょうか。

それに対し現代の子供たちは「勉強しない=遊ぶ」の時間を過ごし、ドーパミンの過剰分泌(ある種の依存状態)の中で過ごすこととなり、そこに精神的安定や社会性の獲得ができる状態とは程遠いところにいるように思います。

家庭で勉強をしないのならば積極的に家の手伝いを行わせることが、遠回りのように見えますが結局は子供を一回り成長させ、安定した精神状態の下で勉強を見直させることができるかもしれません。家の手伝いといっても掃除や洗濯だけでなく、それ自体が楽しく行える料理などはいかがでしょうか。調理の前準備や後片付けなど根を詰めて行う作業も含まれますが、子供たちから見て未知の領域で興味深く入りやすい手伝いかもしれません。一度試してみてはいかがでしょうか。