勉強法と写経

 中学生が英語や数学を勉強していく上で、どこまでできるようになったらその単元の勉強は一区切りか自分で決めるのは難しいことがあります。確かに学校や塾の宿題を全て終わらせれば区切りというのも一案ですが、自分で自己評価する目安について第二教室の塾生たちに「英語の勉強の到達指標は英作文ができること、数学の勉強の到達指標は文章題・証明問題ができること」と私は言っています。どちらも今までの総力を挙げなければできないものです。文法と単語を駆使しなければ英作文はできません。文章題は文意を理解し式を立て計算する、証明問題は問題設定を確認し、一定の論理に従って進め解法を完成させる。どちらも最低限の作法にしたがって書き下ろしていかないと「解答」にすることはできません。英単語の並べ替えをして行う英作文や、「証明」を穴埋めしていくことで追っていく誘導問題はできたとしても、最初から最後まで全て自分で書かなければならない「英作文」や「文章題・証明問題」は大変手強いです。多分これは「問題が難しい」ということと共に「書いていく作法が身についていない」ということが大きいようです。

 もし、解答をどのように書いたらよいかわからない場合、解決法の第一は「解答の書き写し」だと思います。解答を写経するように書き写すのです。一度書き写すことで「書く作法も解答内容も」全てがわかるようになるとはなりませんが、2回3回と書いていくうちに書く作法が分かると共に、自分の分かる所と分からない所を分けることができるようになります。絞り込まれた分からないところを熟考するうちに「はっと!」分かるようになります。このときにはもう解法の書き方・和文英訳など、何も見ないで書くことができるようになっているものです。少々時間がかかり遠回りのように見えますが、この方法がより確実だと思います。

 仏教の修行の中に写経があります。今では多くの一般の人が宿坊に泊まり、座禅を組まれたり般若心経を写経されます。写経をする場合、その奥深い経文の意味を把握するレベルは人によって違います。また同じ人でも理解するレベルがその時々で違ってくるのだと思います。その微妙な違いを考えることに写経の妙味があるように思います。

 勉強の場合の書き写しは、解答そのものは解釈にそれ程違いがあることはないのですが、前にそれを解いた時の個人の感じ方・在り様が相当違ってくる可能性があります。その違いを感じることによって人は(児童・生徒は)自ら「成長」を感じるのではないでしょうか。